西暦 | 年号 | 天皇 | 摂政/関白/ 将軍 |
出来事 |
983 | 天元六 | 円融 (六四代) |
藤原頼忠 | 円融寺が建立される。 |
991 | 正暦二 | 一条 (六六代) |
藤原道隆 |
天皇崩御後、寺は衰微し平安末期には、左大臣藤原実能の領有するところとなる。 実能は、ここに山荘を営み徳大寺と名付け、これが後に家名となり、徳大寺家の子孫の世襲するところとなる。 |
1450 | 宝徳二 | 後花園 (一〇二代) |
足利義政 (八代将軍) |
細川勝元(二一歳)は右大臣藤原公有より、徳大寺家の別荘だったものを譲り受け、妙心寺第五世義天玄承を招き、龍安寺創建開山とする。 龍安寺名の由来は、中国北宋の龍安山兜率寺(とそつじ)の従悦禅師(じゅうえつぜんじ)が、 のちに宰相となった張商英(ちょうしょうえい)の参禅を指導した事にちなんで名付けられたといわれている。 |
1452 | 宝徳四 |
細川勝元が二度目の管領となる。 (一度目は、勝元が一六歳の時) |
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1462 | 寛政三 |
三月一八日、義天玄承遷化(七〇歳)。 大慈慧光禅師と諡(おくりな)された(元禄二年) 義天は遺言で、己の木像を造って安置することを禁止した。その理由は、開山に勧請した老師日峰宗舜が黄衣であり、義天は紫衣勅許の大和尚の姿となるからである。 そこで門弟らは相談し、木像と同じ高さの大きな位牌を安置することにした。(現在仏殿奥に安置) |
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1467 | 応仁元 | 後土御門 (一〇三代) |
応仁の乱はじまる。 |
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1468 | 応仁二 |
龍安寺は応仁の乱で焼失。この頃洛中に一時移転したが、その後まもなく旧地に再建された。 |
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1473 | 文明五 | 足利義尚 (九代将軍) |
五月一一日細川勝元逝去(四四歳)。龍安寺殿仁榮賓宗大居士の称号を贈られる。 |
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1477 | 文明九 |
応仁の乱終わる。 |
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1485 | 文明一七 |
五月勝元一三回忌が、実子・政元によって行われる。 |
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1488 | 長享二 |
政元が龍安寺再興に着手。(方丈が上棟されたのは明応八年(一四九九年)) |
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1493 | 明応二 | 足利義稙 (一〇代将軍) |
細川政元、将軍に反す。 |
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1499 | 明応八 | 足利義澄 (一一代将軍) |
龍安寺の方丈ができる。 |
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1507 | 永正四 |
細川政元、暗殺される。 |
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1588 | 天正一六 | 後陽成 (一〇七代) |
豊臣秀吉 |
二月二四日、豊臣秀吉は蒲生氏郷、前田利家らを連れて、洛北の鷹狩りに訪れた際、方丈庭前の糸桜を見て "時ならぬ 桜が枝に 降る雪は 花は遅しと 誘い来ぬらん" と詠じ、見事な糸桜を観賞すると共に鳥獣伐木を制する禁札を立てた。 また、この時参加した氏郷は "時つかぜ 君が御狩りを 仰ぎてや 花なきころの 枝の白雪" と詠じ、利家は 御狩り野に 降る白雪は 花に似て なお袖さむみ 春風のふく と詠んでいる。これらの短冊は、寺宝として今も残っている。また、上機嫌の秀吉は、住職に金椀を与え、 一、当寺近辺において五位鷲のことを申すに及ばず、雉をも一切、鷹使うべからざること。 一、山林竹等掘り取るべからざること。 一、庭の石、植木以下とるべからざること。 右の条々堅く停止を令す。もし、違背のやからは忽ち厳科に処すべきなり と命じ、自らサインをしている。 |
1606 | 慶長二 | 徳川秀忠 (二代将軍) |
一六〇六(慶長二年) 徳川秀忠(二代将軍) 西源院本堂建立。 正面七間側面五間単層入母屋造り。 こけら葺。寛政年間(一七八九~一八〇一)に龍安寺へ移築される。 |
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1797 | 寛政九 | 光格 (一一九代) |
徳川家斉 (一一代将軍) |
食堂より出火、方丈、開山堂、仏殿を失う。 |
1909 | 明治四二 | 明治 (一二二代) |
紙本墨書「太平記」が、国の重要文化財に指定される。 |
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1924 | 大正一三 | 大正 (一二三代) |
龍安寺方丈庭園(石庭)が、国の史跡・名勝に指定される。 |
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1929 | 昭和四 | 昭和 (一二四代) |
浴室より出火、重文「太平記」一部を焼失。 |
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1951 | 昭和二六 |
方丈庭園油土塀屋根葺替え(瓦葺)。 |
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1954 | 昭和二九 |
方丈庭園が、国の特別名勝に指定。 |
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1955 | 昭和三〇 |
龍安寺庭園(境内ほぼ全域)が、国の名勝に指定される。 |
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1967 | 昭和四二 |
龍安寺本堂(方丈)及び附玄関(勅使門)が、国の重要文化財に指定される。 |
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1975 | 昭和五〇 |
英国エリザベス女王が石庭を拝観。 |
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1977 | 昭和五二 |
昭堂建立。 方丈柿葺屋根全面改修。方丈背後の昭堂を西の庭へ移築し、細川廟(建立は昭和五七年)とする。 |
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1978 | 昭和五三 |
方丈庭園油土塀屋根全面葺替え。 (瓦葺から柿葺に) |
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1981 | 昭和五六 |
仏殿建立。 |
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1982 | 昭和五七 |
西の庭を室町時代風に復元。 |
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1985 | 昭和六〇 |
勅使門柿葺屋根全面改修。 |
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1994 | 平成六 | 今上 (一二五代) |
石庭及び境内全域が「古都京都の文化財」として世界遺産に登録。 |